💛✨ドラクエブログ41章:DQを理解する手順 フリーザ、悟空、トランクス、ベジータ等の生みの親『鳥山 明』について。ドラクエ評論 ■ドラクエシリーズのキャラクター・モンスターデザインを手掛けている!  #ドラクエ #アニメ #漫画 #雑記 #ブログ

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★『鳥山 明』
・・・ドラゴンクエストのキャラクター・モンスターデザインをつとめる。

●鳥山 明(とりやま あきら)1955年4月5日生まれである・・・
日本における漫画家、デザイナーである。

愛知県名古屋市出身で同県清須市在住(合併前は清洲町)である。

・プロダクション:「BIRD STUDIO」(バードスタジオ)。
・妻は漫画家の「みかみなち」である。


●以下概要である・・・
1978年に『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビューを果たした。

集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表した。

代表作『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、
1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜19:00 - 19:30は
『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、
『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、
長期に渡って鳥山明氏・原作のアニメが放映されていたのだった。

※『Dr.スランプ』で第27回小学館漫画賞少年少女部門を受賞した。

※『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』で
 2000年文化庁メディア芸術祭デジタルアート・インタラクティブ部門大賞を
 受賞した。

※『ドラゴンボール』で2006年日本のメディア芸術100選マンガ部門3位に
 選出された。

※2013年に開催された第40回アングレーム国際漫画祭においては、
 40周年記念特別賞を受賞したのだった。

漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動している。
『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットのキャラクターデザイン、
プラモデルや車などのデザインを多数手掛けているのだ。

1980年から90年代の「(週刊少年)ジャンプ黄金時代」を支えた立役者である。
当時編集長を務めた西村繁男氏は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、
鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と
絶賛評価している。

『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』は2015年現在でも、コマーシャルに起用されたり、
グッズが作られるなど未だに根強い人気を博しているのだ。


■鳥山明、ついに登場!!!! ドラクエシリーズのキャラクターデザインを手掛けているゾ!!!!  
ドラクエ製作の裏が見えるゾ!! #漫画家

●ドラゴンクエスト・デザイン・・・・・・
「鳥山明」ドラクエシリーズのキャラクターデザインーーーーーー
漫画家・鳥山明によるキャラクターデザインは、堀井雄二によるラフ絵に基づいて描いた物である。
しかし堀井のラフ絵と全く異なる場合も少なくなく、特にドラゴンクエストの象徴的モンスターとも
言える「スライム」は堀井のラフ絵が一般的なスライムだったのに対し、
鳥山はこれを水滴型のものとしてデザインし、これが採用されたのだった。

なお、堀井のラフ絵は全てが堀井のアイディアというわけではなく、
ドラクエ『II』では宮岡寛氏が関わっているのだ。
また、『V』以降は一部のキャラクターデザイン・モンスターデザインに
中鶴勝祥ら他のスタッフが参加しているのだ。

鳥山明氏のデザインに関しての内部評価は「鳥山以外の漫画家を
起用していたら おそらくその漫画家のキャラゲーになっていただろう」、
「鳥山のデザインだからこそドラクエの世界観が成り立っている!」
という確かなものである。


■鳥山明の幼少時代とは!?  ドラクエファンも要確認だゾ!!  #性格

●幼少時代・・・
初代担当編集者の鳥嶋和彦によると、家は貧しかったが両親ともにのんびり屋の性格で、
夕食代にも事欠く時でも代わりにと2人でワルツを踊るような人だったのである。

鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていたらしい。

当時通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰されたことで自信を持った、との
事である。
小学校の写生コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で
入賞を果たした。
(妹がいる、との情報)

尊敬していたという漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーである。
『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日いたずら描きしていたらしい。

一番影響を受けたのはディズニーアニメであり、『101匹わんちゃん大行進』に
ディフォルメの影響を受けて毎日模写をしていたらしい。

幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移り、
漫画に触れる機会が無くなっていたのだった。

しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、
愛知県立起工業高等学校デザイン科に進学した経緯がある。

高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが
漫画を描くことはなぜかなかったという。

1974年に同高校を卒業。。。。。

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